ストーリー#2 樺澤 理佳さん
本社 販売部 樺澤 理佳です。
スミックで働き始めて早12年が経とうとしています。
当時まだ18歳だった私が、不安や葛藤を乗り越え楽しく働けているのは、上司の方々のおかげです。私のスミックストーリーをご紹介します。
18歳でこの会社に来て今年で12年が経とうとしている。
学生時代は、福祉の学校に通っていたが、私が心動かされたのは福祉の仕事ではなかった。
幼いころから休日は決まって家族一緒に過ごした。両親が土日休みだったからこそ実現した家族の時間。幸せな記憶を辿り、漠然と土日休みの企業がいいな、と思っていた。
福祉の仕事は、土日休みでないことが多く、思い切って他の会社を見てみよう!と思った矢先、当時、硝子製品の製造をしていたスミックに出会った。
細かい作業やものづくりが好きだったこともあり、仕事内容にも惹かれていった。
入社して配属されたのは、希望通り「製造部門」。
作業場で硝子製品の加工などをする日々。好きなものづくりに携われて、楽しい毎日を過ごした。
周りには男性社員の方ばかりだったが、不安は少しもなかった。いや、少しはあったかな...(笑)
製造部門に配属されて、8年が経った頃、受注センターへ異動の辞令が出た。
「これからどうなるんだろう...とりあえずやってみるかな」
異動してからは、まだない知識の習得や慣れないオペレーションに苦労した。
受注センターでの勤務中、悩んでいる顔を次長に見られたことがあった。
「ちょっとこい!」
次長は私を呼んだ。
「俺も辞めたい、と思うことはあった。〇〇もそう言って相談にきたことがある。でも、絶対に乗り越えたときに成長できるから」
もうちょっと、もうちょっとだけ、頑張ろう...
1年半経って慣れたかな、という頃、今度は本社・販売部への異動辞令が出た。
また新しいことを1からやるのか...と思うと不安でいっぱいになった。
しかし、私の不安はいつも先輩たちに見抜かれてしまう。何も言わなくても先回りして「大丈夫?」と声をかけてくれる。
つらい時期を乗り越えられたのは、そんなフォローのおかげにほかならない。
いくら歳をとってもみんなの中で私はまだ18の子どもで、当時から私を知っている方々からは「もう30歳になったの?」と驚かれる。職場の人は、私にとってもう一つの家族のような存在だ。
悩んでいると気にかけてくれるお父さんやお母さんがたくさんいて、異動の多かった私は、社内のどこにいっても、味方がいる。
今では私も母親になり、仕事以外の悩みも出てきた。
2歳半になる娘は、イヤイヤ期の真っ只中で、初めての子育てに毎日頭を悩ませている。
会社にいくと、「うちもそうだったよ」「3歳を過ぎれば大丈夫」と、励ましてもらうたび、やっぱり会社で働いていてよかったな、と思う。
スミックで一年間の育休をとったのは私が第一号。
直属の上司である課長は、出産後、数か月で復帰した大先輩だ。
女性社員が少なかった当時は、育児休暇が当たり前ではなかった。
子どもを産んですぐに復帰するなんて、大変なんてものじゃなかったはずだ。今自分が同じ状況にあって、先輩の偉大さを実感することが多い。
毎日周囲に笑顔で接し、たくましく仕事をしている姿を見ると、自分もそうなろう、と勇気をもらう。
ある日、子どもが熱を出した。
まだ作成途中の見積書。今日中に営業に渡さなければいけないのに...。
電話を切った途端、焦りでいっぱいの私の背中にいくつも声が重なって聞こえた。
「何すればいい?」「続き、やっておくね」
すぐさま私の仕事は先輩方に引き継がれた。
「子どもに何かあったら子ども優先でいいからな。一人で悩むのは禁止。それが約束だよ」
目の前の大先輩は、そう言って私を保育園に送り出してくれた。
「私にしかできない仕事がある」ということ。それはとてもかっこいいことかもしれない。
でも「自分にしかできない仕事」ばかりを作ってしまうと、何かあったときに必ず周りに迷惑をかけてしまう。そうならないために、常に周りには相談や共有を怠らないようにしている。
頼ること、それは仲間を信頼することでもある。
チームを信頼し、チームの皆が困らないよう考えて動くことが私にとっては一番大切。
これまで私を支えてくれた先輩や、私を頼ってくれる後輩のみんながそうしてくれているように。
これからもスミックで、誰かの見えない想いを感じながら、チームとして仕事をしていく。
本社 販売部 樺澤 理佳
2020.12 UPDATE
人生の先輩がたくさんいる